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GMOフリーゾーン
欧州会議に参加して

天笠 啓祐

ドイツではGM食品表示見当たらず

 1月20日、ベルリンに到着した夜は、雨が降っていた。雪が積もり、それが凍りついて外を歩くのが大変だろうと予想していたが、意外な暖かさにホッとした。最終日には厳冬のベルリンを経験することになろうとは、この時点では予想だにしなかった。

 今回、ドイツにやってきたのは、22、23両日ベルリンで開催されるGMOフリーゾーン運動欧州会議に出席するのが目的だった。この会議には、日本から私を含めて4人が参加した。清水亮子さんと、永澤陽生さんの2人とは、21日10時に、旧西ベルリンにあるもっとも大きなデパートKaDeWe(カーデーベー)の前で待ち合わせていた。うまく出会えるか不安だったが、誰も待ち合わせ場所を間違えることはなかった。

 デパートは10時開店だった。日本橋三越前で待ち合わせて開店と同時に店内に入るのと、ちょうど同じイメージで考えていただいて結構である。真っ直ぐ食品売り場にいき、表示の調査を行なった。欧州でGM食品表示の新制度が施行されて半年以上が経っている。はたしてきちんと表示されているだろうか、というのが調査の目的でだった。

 GMO表示はなかった。日本のメーカーがつくった豆腐や醤油、食用油などにはなかった。米国のメーカーがつくったトウモロコシのお菓子にもなかった。表示がないということは、遺伝子組み換え作物が一切原料として使われていないことになる。本当だろうか、と思った。もう少し庶民的なスーパーに行こうということで、旧東ベルリンでアレクサンダー・プラッツ駅近くのスーパーを目指した。行ってみると、現在立て替え工事中で閉店していた。

 幸い、この駅でアキコ・フリッドさんと合流することができた。駅近くで他のスーパーを発見して、4人で調査を行なうが、やはり発見できなかった。初日は、ベルリンでは遺伝子組み換え食品がないことを確認して、会議会場近くのレストランで行われる前夜祭に向かった。

拡大するGMOフリーゾーン

 1月22日は早朝8時から受付が始まった。9時からはスタッフや会議全体の紹介があった。その後、GMO問題やGMOフリーゾーンなどに対する基本的な解説が行なわれた。スイスの研究者による、水の中にインキを落とす遺伝子汚染の解説が印象的だった。
 11時から最初の分科会が行われた。私たちはGMOに関する欧州の法的規制に関する分科会に出席した。この中で、ドイツ消費者保護・食料・農業省の法律担当者が、ドイツで成立した「共存法」について解説を行なった。

 昼食後15時から各国の報告が行なわれた。オーストリア、ハンガリー、フランス、ドイツ、ギリシャ、イタリアから報告者が立った。ギリシャ全土が、世界で初めてGMOフリーゾーン地域となったことを知った。地域からコツコツと積み上げていって、ついに全国に広げることができたのである。
 またイタリア全土の80%近い土地がGMOフリー宣言を行なっていることも知った。オーストリアは、9の州のうち8州でGMOフリー宣言が行なわれている。この3カ国がもっともGMOフリー地域が拡大した国といってもよい。ハンガリーでは31の自治体がGMOフリーゾーンを宣言したことから、同国政府がモンサントの種子の流通を一時的に禁じる成果を上げている。

 地元ドイツは2004年1月に、「ブンド(BUND)」と呼ばれる農家や環境保護団体などの連合体がつくられ、GMOフリーゾーン運動が始まった。運動のキャッチフレーズは「公正な隣人関係(Faire Nachwarshaft)」である。それが意味するところは、遺伝子汚染によって被害や損害が生じないように、GM作物の栽培を禁止する地域を拡大するのが目的である。ドイツで最初にGMOフリーゾーンを宣言したのは、北ドイツにあるヴァルベル・レクニッツとシュルフハイデ・コリンの2地域だった。その後、地域は拡大し、2005年1月現在、56地域、1万2000軒の農家、44万haがGMOフリーゾーン宣言をしており、拡大している最中である。

 17時半からシンジェンタ・アグロ・ドイツ最高経営責任者ヤフマン氏も出席したシンポジウムが行なわれた。主に「共存政策」が議論の焦点になった。予想通り、ヤフマン氏への集中攻撃がつづいたが、このような攻撃を想定しながら、よくシンポジウムに出席したものだ。終了は19時半、12時間を超える一日のスケジュールをやっとの思いで消化することができた。終了後交流会が開かれ、会場を出たのは22時だった。

 ベルリンで開かれたこの会議は、ヨーロッパで広がるGMOフリーゾーン運動を担う人びとが初めて一堂に会した点で画期的である。北欧からトルコ、アイルランドからロシアまで、EU以外の国も加わり、合計34カ国、200人が参加した。

欧州委員会の対応がフリーゾーン拡大を招く

 なぜGMOフリーゾーンというものが登場したのか、その背景を見ていきたい。欧州では、2004年4月18日に新しいGM食品表示制度がスタートした。それ以来、GM作物・食品をめぐる動きが活発である。なぜかというと、この新表示制度と引き換えに、GM作物の流通・栽培の停止状態(モラトリアム)が解除されたからである。

欧州委員会は2004年9月8日、モンサント社の殺虫性トウモロコシ「MON810」の種子の登録を承認した。EUでは、種子の登録制度があり、登録して初めて使用が可能になる。モンサント社は、EU加盟国25カ国で作付け可能な種子として登録することを目指していた。これまで同種子は、すでにスペインとフランスで認可されており、スペインでは小さい面積ながら栽培が行なわれてきた。ただし、食品には使われず、飼料に用いられていた。この登録承認によってEU全体で認可されたことになり、ヨーロッパでモンサント社のトウモロコシの栽培を阻止しなければいけない、それがGMOフリーゾーン運動が広がった背景である。

 このGMOフリーゾーン運動をヨーロッパ全体にまで広げる役割を果たしたのが、2003年11月4日の「GMOフリー地域・ヨーロッパ」の設立である。これは州政府の連携で、オーストリアのオーバーエスターライヒ州とイタリアのトスカーナ州政府がコーディネートし、10の州政府の農業大臣がGMO禁止を地域の権利としてまとめた文書に署名してスタートした。

 その10の地域とは、オーストリアのオーバーエスターライヒ州、ザルツブルク州、イタリアのトスカーナ州、マルケ州、スペインのバスク地方、ドイツのシュレスビッヒ・ホルシュタイン州、フランスのアキテーヌ州、リムザン州、ギリシャのトラキア・ロドピ州、英国のウェールズである。
 設立の際に10州の農業大臣は、欧州委員会に対して「GM作物が慣行農業や有機農業の作物を汚染した場合、汚染者負担の原則に基づく責任の明確化」を求めた。

 この「GMOフリー地域・ヨーロッパ」設立のきっかけになったのが、2003年9月に、オーバーエスターライヒ州がGM作物拒否を宣言した際に、欧州委員会がこれを拒否したことにある。同州は、山岳地域が多く、農業の存続維持のため有機農業を推進していた。GM作物が有機農業を脅かすことから、このような要請を出したが、EUは要請に対して小さな地域では容認する方針を出したが、州政府単位の広域での禁止措置は認められない、として拒否の決定を下した。米国への配慮が働いているものと思える。結果的には、この拒否が逆効果となって欧州全体にGMOフリー自治体が広がることになった。

ヨーロッパ文化全身をかけたたたかい

 翌23日は8時半から2回目の分科会がスタートする予定だった。だが時間が過ぎても一向に参加者が集まってこない。前日の疲労からか、やっと9時から始まった。私たちはEUでのGMOフリーゾーンと共存政策に関する分科会に出席した。会議の進行は、あらかじめ主催者が準備した、欧州委員会に提出する要求の原案が提示され、それを参加者が手を上げて修正を加えていく方式をとった。全部で6つの分科会に分かれて、それぞれが別個の項目に関して同じような進行方式で修正を加えていき、最後の締めくくりの会合で各分科会で修正が加えられたものが一体化されることになっている。

 11時半から、前日に引き続き各国の報告が行なわれた。ポーランド、スペイン、スイス、イギリス、トルコ、日本から報告者が立った。日本の報告は清水さんが行なった。イギリスにおけるGMOフリー人口は、2005年1月までに1500万人を超えたそうだ。ヨーロッパ唯一のGM作物栽培国スペインでもGMOフリー自治体が広がっている。

 昼食後14時30分から3回目の分科会が行なわれ、私たちは消費者の果たす役割に関する分科会に出席した。グリーンピースから欧州での食品調査が報告され、現在まで77の食品にしかGMO表示が行なわれていないことを知った。日本で一軒のスーパーに多数のGM食品が並んでいる実態とは大違いである。

 16時半から全員参加での討論会が行なわれ、フルート演奏をバックに大会宣言が読み上げられた。その採択された宣言は「われらが大地、われらが未来、われらがヨーロッパ」と題されていた。「われらが選択」「われらが種子」「われらが農業の多様性」「われらが生物の多様性」「われらが安全と予防原則」「われらが食料主権と表示」「われらが共存」「われらがヨーロッパ」という小見出しごとに文章が読み上げられ、あいだにフルートの演奏が入った。

 感動的な文章であり、ヨーロッパにおいてはGMOフリーゾーン運動が、環境保護や自分たちの食や農業を守る運動にとどまらず、文化や文明の根幹にかかわる大切な運動であることが示されていた。誤解を恐れずいえば、ヨーロッパの文化全身をかけたたたかいであることを知った。
 その後、午前の分科会で修正された欧州委員会への要求項目がまとめられた。すべてが終了したのは18時のことだった。さすがに疲れた。

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