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韓国
GMOフリーゾーン
スタート!

生協発祥の地・原州へ
 6月4日、ソウルへ向かった。韓国はすっかり夏だった。暑かったが、太陽は霞んでいた。中国からやってくる黄砂やスモッグの影響で、日差しは赤みを帯び、直視できるほどだった。
 5日、打ち合わせのため、明洞に向かった。ソウルの中心地・明洞の真ん中に明洞聖堂があり、教会脇のカソリック・センター・ビル内に「われらの農村を生かす運動本部」がある。その本部長が、今回私たちを招いて下さった趙大鉉神父である。本部では、カトリック農民会がつくる農作物をソウルに住む信者などの消費者に届ける産直運動を展開している。その消費者組織がウリ農生協である。

 大阪と兵庫を基盤としている生協連合会きらりが、ウリ農生協と深いつながりをもち、交流を深めてきた関係で、今回の招待となった。日本からの参加者は、生協連合会きらりからエスコープの川島さんと山口さん、それに私と市民セクター政策機構の倉形さんの4人である。現在、カトリック農民会には約2000の農家が属しており、そのうちウリ農生協に約600の農家が農作物を届けている。
 翌6日は、韓国で初めてGMOフリーゾーンが宣言される日である。この日は顕忠節という、国土防衛のために命をささげた人たちを記念する休日であった。

 都市の消費者と農家との交流の日であるこの日、ソウルの消費者は3カ所に向かうことになっていた。清州、水原、原州である。私たちが向かったのは原州である。原州は、江原道の西南の端にあり、ソウルから1時間半程度で到着する、雑穀の産地だそうだ。行く道すがら神父から「なぜ原州なのか」その理由を聞いた。

 「朝鮮王朝時代にカトリックは弾圧されました。そのため信者は地方に散らばるように逃げたのです。そしていくつかの地域で共同生活を送るようになりました。その1つが原州なのです。130年くらい前の話です。共同体で生活を送っていたことから、原州は韓国での生協発祥の地となりました」
 原州はまた、生命運動と呼ばれる有機農業運動につながる運動の発祥の地でもある。韓国でのGMOフリーゾーン運動の発祥の地にふさわしい場所だ。

 ソウル市内の漢江の脇を通っているとき、趙神父は、「この道路はオリンピック道路といってソウル・オリンピックの際につくられたのですが、人々が居住するところと漢江の岸辺を隔離したため、いまどうやったら岸辺に出られるようにするのか検討を加えているところです」と述べた。前日の晩も、高速道路を取り壊し、かつて埋められ再び掘り起こされた川岸を散歩した。ソウルでは環境問題への関心が高くなっているようである。この復興作業も高速道路も現代グループが請け負ったといい、高速道路をつくった人と壊した人が同じで、しかも川を再生するほうがはるかに費用がかかったそうである。
 
農楽隊とともにフリーゾーン宣言
 ソウル市から少し郊外に出ると、道路の両脇を緑豊かな小高い山々が迫ってくる。ソウルから1時間半程度で原州テアンリ地域に到着した。地域の入り口に降り立つと、賑やかな演奏が始まった。農楽隊の出迎えである。農楽隊の案内で水田へ向かった。農村の風景は日本のそれとそれほど違いがないように思えた。この日、当初はカトリック農民会の行事として取り組まれることになっていたのだが、日本からの来客もあり、村の行事として取り組まれることになった。

 水田は1枚ごとに低い網で囲われ、それぞれに合鴨小屋が立っていた。子どもたちが1人1人合鴨を小脇に抱えて、水田に放っていった。すぐに合鴨は群れをなし、草を食べ始める。マガモとアヒルの雑種の可愛い小動物だが、中にはチャッカリした連中がいて、どこから逃げ出したのか、近くの川で悠々と泳いでいる連中もいた。その合鴨をまた子どもたちがつかまえて元の水田に戻していた。

 日本ではすっかりお馴染みとなった合鴨農法だが、日本発の技術としてアジアに拡大しつつある。韓国では、有機農業というと合鴨農法を意味するほど広がっているそうである。この合鴨入れが終わると、次は豊作を祈願するミサの始まりである。趙神父がミサを執り行う。神父は、ユーモアたっぷりに話を進める。大変な人気者のようだ。最後は、サッカー・ワールドカップで韓国チームを応援する際、会場にこだまする「テーハーミング・チャチャッチャチャッチャ」のリズムで、「GMフリー・チャチャッチャチャッチャ」と唱和した。

 趙神父の紹介を受けて、私と生協連合会きらり理事長の山口さんが挨拶をした。その後、地元を代表してカトリック農民会原州代表と原州協同組合運動協議会代表が挨拶して、生協と農民会の間で取引の契約式がもたれた。最後に、ウリ農生協の消費者代表とカトリック農民会の農家が共同でGMOフリーゾーンに取り組む宣誓式を行った。これで午前中の行事は終了した。

神様チャンスンにGMOフリーゾーンの文字が
 昼食後、子どもたちによる田植えが行われた。田んぼの脇では農楽隊が子どもたちを鼓舞するような演奏がつづいた。この日のために、田んぼ1枚だけ田植えせずに残しておいたようだ。一生懸命に苗を植えていく子どもがいるかと思うと、泥んこになって遊んでいる子どももいて、なかなか進まない。全体の5分の1程度植えておしまいとなった。残りは農家が後で植えるのであろう。都市の消費者とのつき合いが大変なのは、日本の農家も韓国の農家も同じようだ。

 次に餅つきとバーベキューが始まり、日本のにごり酒にあたるマッコリが振る舞われた。この日のために用意されたマッコリの量は、実に180リットルだそうだ。1升ビン180本分である。このお酒、実に口当たりがよく、アルコールをほとんど飲めない私でもどんどん飲めてしまう。「それが怖いんだ」ときらりの川島さん。この日現地に集まった人は200人くらいだった。子どもが多いため、100人程度が飲んだとしても、1人平均1升である。それを全部飲みきってしまうのだから、勢いとは怖いものである。餅つきは、日本では臼でつくが、韓国では厚い板の上でついていた。
 餅つきと平行して「チャンスン」づくりが行われていた。チャンスンとは、村を守る神様で、集落の入り口に立てるというのである。チャンスンのチャンは長いという意味で、4メートルはあろうかという長い松の木に神様が一対彫られていた。

 チャンスンが出来上がると、農楽隊が先導して、村の入り口まで運ぶ作業が始まった。3本の角材を用いて1体を6人で運ぶのだが、角材が肩に食い込み、悲鳴を上げそうになるほど重かった。チャンスンは男性の神様と女性の神様があり、男性の神様には「天下大将軍」、女性の神様には「地下女将軍」と書かれることになっている。その文字が書かれる位置に「GMOフリーゾーン」と書かれた。この神様は、並んで立てられ薄い板でつながれる。その板にもGMOフリーゾーンのマークがつけられた。

チャンスンを立てる際、男性の神様と女性の神様の位置が逆だったそうである。年寄りは「いまの若い者は物を知らない」と言って嘆いたそうであるが、「いまは女性上位だからしかたないか」とも言っていたそうだ。
 この日、GMOフリーゾーンを宣言した農地は、約3万坪(約10ha)である。原州のカトリック農民会では13軒が稲作に取り組んでいるそうだ。そこから始めて徐々に全国化していくそうである。チャンスンの前につくられた祭壇に、みんなでついた餅が供えられ、行事が終了するとマッコリと一緒に参加者に配られた。農楽隊の演奏に合わせて踊りだす人が増え、行事はピークに達し終了した。原州もすでに夕刻を迎えていた。

天笠啓祐

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